出光佐三、美の交感

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※この展覧会は終了しました
  • 2024.6.1
  • 7.7

出光佐三、美の交感―波山・放菴・ルオー

初代館長・出光佐三(いでみつさぞう)(1885-1981)は、同時代の作家たちと交流し、創作活動に寄り添いました。
その代表的な存在が、板谷波山(1872-1963)と小杉放菴(1881-1964)です。
本展では、淡く清らな光のなかに優雅な文様を浮かび上がらせた波山のやきもの、
そして油彩画と日本画で東洋の理想像を追求した放菴の絵画を、やはり佐三と同時代の画家である
ジョルジュ・ルオー(1871-1958)、サム・フランシス(1923-94)の作品とともに紹介します。

みどころ

  • 板谷波山・小杉放菴と出光佐三、信頼関係が生んだ美のかたち
    佐三と作家たちの交流に注目しながら、両者の美の交感が珠玉の作品を生み出す場の臨場感をお伝えします
  • 近代美術史の重要作家、16年ぶりのそろい踏み!
    同じ時代の空気を吸いながら、近代美術史において重要な足跡を残した波山と放菴。2人の美の共演を、心ゆくまでお楽しみください
  • 出光佐三が西洋の絵画にみた“日本・東洋的なもの”とは?
    日本と東洋の絵画に通じるとして佐三が心惹かれた深い精神性を、彼らの表現のなかに探ります

主な出品作品

板谷波山

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    天目茶碗 銘 命乞い

    板谷波山

    日本 昭和19年(1944)

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    葆光彩磁草花文花瓶

    板谷波山

    日本 大正6年(1917)

小杉放菴

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    天のうづめの命

    小杉放菴

    日本 昭和26年(1951)

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    出関老子

    小杉放菴

    日本 大正8年(1919)

ジョルジュ・ルオー

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    聖書の風景

    ジョルジュ・ルオー

    フランス 1953 - 56年

各章の解説

  • 1 美の交感のはじまり―板谷波山・小杉放菴と出光佐三

    当館の創設者・出光佐三(1885-1981)は、日本・東洋の古美術を蒐集することに情熱を傾ける一方で、自分と同じ時代の作家と親しく交流し、制作活動に寄り添いました。その代表的な存在が、板谷波山(1872-1963)と小杉放菴(1881-1964)です。大正13年(1924)頃、波山の作品にはじめて接した佐三は、その精彩に魅せられ、波山と親交を結ぶようになります。また、昭和5、6年(1930、31)頃には、放菴の山水画に触れ、みずからが愛好する江戸時代の禅僧・仙厓(1750-1837)などの絵画に通じる趣を感じ取り、やがて放菴とも交友を持つようになりました。ここから、美の交感がはじまってゆきます。

  • 2 新鮮な表現を求めて―西洋との出会い

    近代日本美術の歩みは、西洋から押し寄せる新しい文化の波とどのように向きあうかという大きなテーマとともにありました。この章では、新鮮な芸術様式や表現技術に対する飽くなき探究と実践のさまを、板谷波山と小杉放菴それぞれの作歴に探ります。
    板谷波山は、当時流行していたアール・ヌーヴォーやアール・デコなどの意匠を日本陶磁へ導入することを試み、モダンな造形感覚と卓抜した彫塑の感性は、やがて波山独自の「葆光彩磁(ほこうさいじ)」というマット調の新たな作風へと結実してゆきます。小杉放菴は洋画家・五百城文哉(1863-1906)のもとで修練を積んだのちに32歳で渡欧し、フランスの壁画家、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824-98)の夢幻的な絵画表現を色濃く受け継ぎながら、油彩画家としての実績を重ねてゆきました。

  • 特集 日本画のような表現―ジョルジュ・ルオーとサム・フランシス

    初期作では不条理な社会とそこに生きる人間の苦悩や悲哀を主題にし、晩年には慈愛に満ちた女性像やキリスト像などを描いたフランスの画家、ジョルジュ・ルオー(1871-1958)。そして、鮮明な色彩を画面に散りばめたアメリカ抽象表現主義の画家、サム・フランシス(1923-94)。出光コレクションで異彩を放つ2人の絵画ですが、これらの蒐集もまた、出光佐三による美の交感のたまものといえます。佐三は、ジョルジュ・ルオーの強い輪郭線に日本画との共通性を、また、サム・フランシスの象徴的な“余白”に仙厓の禅画のような深い精神性を感じ取ったことで、自分のコレクションに迎えることを決めたのです。

  • 3 東洋への回帰と創造―古くて新しい表現

    板谷波山は、日本陶磁史に例を見ない意匠表現を生み出すとともに、中国陶磁を中心とする東洋陶磁や工芸品、茶道具などの研究を積み重ね、その学習成果を青磁や白磁などの制作に活かしました。それらは単なる古典の再現にとどまらず、豊かな創造性に満ちています。その作陶姿勢には、欧州の芸術様式を研究したからこそ、幼い頃より慣れ親しんだ東洋陶磁の美しさや茶道具への敬意があったものと思われます。
    大正2年(1913)、青年油彩画家としてパリに留学していた小杉放菴は、文人画家・池大雅(1723-76)の傑作「十便図」の複製を目にしたことをきっかけに、日本・東洋の絵画の表現に傾倒することになります。これ以降、油彩画では主題と表現に東洋的な情緒を加味し、膠彩画(日本画)では麻の繊維で漉いた中国伝来の麻紙の上に清澄な彩色を施す手法によって、東洋の理想的な絵画世界を追求しました。

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