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About Idemitsu Sazo初代館長・出光佐三

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生い立ち

出光佐三は明治18年(1885)8月22日、福岡県宗像郡赤間村(現在の宗像市赤間)に藍問屋を営む父・藤六と母・千代の四男二女の次男として産まれました。
地元の小学校、高等小学校を卒業した佐三は最初外交官を志しました。父から自主独立の精神を強く教えられ、福岡商業学校へ入学、さらに新設の神戸高等商業学校へ進みました。そして、明治44年(1911)には、門司市(現在の北九州市門司区)に出光商会(のちの出光興産株式会社)を創業し、実業家として歩み始めました。

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絵唐津丸十文茶碗を愛でる出光佐三

蒐集家として〜仙厓との出会い

佐三は、まだ19歳の学生であった明治38年(1905)、当時全国的に知れわたっていなかった仙厓の「指月布袋画賛」を博多の古美術の売立でたまたま目に留め、父に頼んで手に入れました。これが記念すべき出光コレクション第一号となりました。
それ以降、仙厓はもちろんのこと、田能村竹田をはじめとする文人画、中国陶磁や青銅器、古唐津・古九谷などの日本陶磁、小杉放菴や板谷波山といった近代作家、さらにはサム・フランシスやジョルジュ・ルオーの作品へと蒐集は広がりました。そして、国宝・古筆手鑑「見努世友」や、佐竹本三十六歌仙絵「柿本人麿」、牧谿筆「平沙落雁図」、野々村仁清作「色絵茶芥子文茶壺」などの重要文化財を含む、出光コレクションの核となる作品が集まったのです。

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指月布袋画賛 仙厓 江戸時代

美術館の設立

事業を軌道にのせた佐三は、かねてから美術館の構想を持っていました。その夢は昭和39年(1964)に、故郷福岡にあった出光興産福岡支店内に開設した出光福岡ギャラリーの形ですでに結実してはいましたが、さらに本社のある東京で、より本格的な美術館を開くことを決意しました。昭和26年(1966)頃から美術品の整理を始め、自ら蒐集した東洋古美術をもとに昭和41年(1966)に帝劇ビルの最上階である9階に出光美術館が開館しました。また美術館開館の年に、佐三は出光興産社長の座を退き、初代館長に就任しました。

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帝劇ビル外観

最後の蒐集

佐三の最後の蒐集作品となったのは仙厓の「双鶴画賛」です。「鶴は千年 亀は萬年」のことわざにつづき「我れは天年」と書き添えてあり、長寿を求めずに、ただ天から預かった命に感謝を示しています。佐三はこの作品を「我は天年か」と何度も読みかえしたと伝わっています。「指月布袋画賛」から始まった蒐集の歴史は、こうして同じ仙厓の作品「双鶴画賛」で終止符がうたれました。
佐三は、晩年自らの人生を振り返って、「私の一生というものは、眼で美術を見て、心で人の美しさを見るというようなことで、いつも美というものにリードされてきたような気がする」と語っています。日本の美の伝統を愛し、その蒐集、保存、公開に情熱を注いだ佐三は、美術館開館後の半生をコレクションの充実と日本美術の普及という二つの目標に向け、数々の展覧会の開催や国内外の遺跡調査・発掘への支援を行うなど精力的に活動しました。
初代館長・出光佐三の理念はその後も受け継がれ、美術館活動のさらなる充実に努めています。

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双鶴画賛 仙厓 江戸時代

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