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尾形乾山生誕360年
琳派のやきもの ―響きあう陶画の美

開催期間 2023年6月10日(土)~7月23日(日)
休館日:毎週月曜日(ただし7月17日は開館)、7月18日(火)

展示概要

京の都に息づく王朝美から花開いた琳派の芸術。その優雅な造形と装飾性を特徴とする芸術は、始祖と仰がれる本阿弥光悦(1558 - 1637)や俵屋宗達(? - 1640頃)、後代の尾形光琳(1658 - 1716)、江戸の酒井抱一(1761 - 1828)へと、直接的な師弟関係ではない私淑によって受け継がれました。
先達の美に憧れ、模倣を介することで継承される琳派ですが、その伝統は必ずしも絵画作品に限ったものではありません。琳派という潮流によって継承される模様や造形性、作品の主題となっているイメージは、やきものや蒔絵といった工芸作品とも互いに影響しあうことで創意を生み、発展してきたのです。
本展覧会では、江戸時代中期を代表する京の陶工・尾形乾山(深省)(1663 - 1743)をはじめとして、継承されゆく「琳派のやきもの」の世界をご紹介します。
高級呉服商・雁金屋の三男として生まれた乾山は、その恵まれた環境にあって、京文化の粋を知り尽くした高い芸術的教養をもつ人物でした。彼の興した乾山焼は、和歌や能、漢詩といった文芸を主題とした独自のやきものとして、絵画や書の美と融和する新たな陶芸の世界を開拓しました。日本の陶磁史においては革命的な出来事であり、後の時代に多大な影響を与えたと評されます。
雅やかな模様や造形の世界が作品のジャンルや時代をこえて響きあう、琳派芸術の美の共演をお楽しみください。

琳派のやきもの

本展のみどころ

01絵画と工芸、分野の境を超越する美の共演!

本展覧会は「琳派のやきもの」の代表的な陶工である尾形乾山を中心に、江戸時代の京の都で生産されたやきものを展示するとともに、それらと共通するモチーフや模様をもつ絵画、蒔絵の琳派作品もたっぷりとご紹介します。
琳派の芸術は、土佐派や狩野派といった直接的な師弟関係でなく、先達の芸術作品に憧れ、これを模倣し敬慕することで継承されたという大きな特徴があります。そしてその芸術の流れは絵画のみならず、陶磁器や蒔絵といった工芸とも関係し、互いに影響を与えていました。美術のジャンルを超越して響きあう、琳派芸術の美の世界をお楽しみください。

02やきものに込められた、王朝文化の世界

中世以来、古典的教養として必須であった和歌は、江戸時代にも上層町衆の間で盛んに詠み交わされていました。高級呉服商・雁金屋に生まれ、京文化の粋を知り尽くしていた乾山もそういった文化圏に属していたひとりです。彼の古典知識や王朝文化への憧れは、やがてやきものという新たな媒体へと流れていきます。
王朝の風雅や文学性が込められた乾山のやきもの(乾山焼)は、唐物(中国産のやきもの)を上級品とする既定の価値観にあった陶磁史にとって革命的なやきものでした。高い教養をもっていた乾山であればこそ、新味なやきものが生まれたのでしょう。また別の見方をすれば、乾山焼は王朝文化の権威を利用したプロモーション戦略に長けていたとも考えられます。作品からうかがえる乾山の王朝文化の世界観を探るとともに、乾山焼発展の動向を探ります。

03描き・焼き継がれる、琳派の系譜

本展覧会では乾山焼のほか、江戸時代初期に活躍した本阿弥光悦や俵屋宗達の作品、京焼の名工・野々村仁清や仁阿弥道八のうつわ、さらには江戸琳派と称される酒井抱一や鈴木其一なども紹介します。ジャンルのみならず、時代、地域を超越して共通するモチーフや模様は、乾山の前後に連なる琳派芸術の系譜といえるでしょう。
いまなお高い人気を誇る琳派の作家たちが、どのような美に憧れ、また継承されたのか。江戸時代初期から後期にいたる琳派の系譜を出光美術館の琳派コレクションから厳選してご覧いただきます。

展覧会の構成

第1章
詩書画の陶芸
第2章
王朝文学の情緒
第3章
交響をなす琳派の陶画
特集
重要文化財「色絵芥子文茶壺」をめぐりみる
第4章
継承される陶画の美

各章の解説

第1章 詩書画の陶芸

早くから隠遁の志が強かった乾山は、父・宗謙(1621 - 87)が没すると、元禄2年(1689)、27歳にして仁和寺門前の双ヶ岡の「習静堂」に閑居します。そこで陶工・野々村仁清(生没年不詳)に陶技を学び、本格的に陶工としての人生を歩み始めます。元禄12年(1699)、京の外れ鳴滝の地に開かれた窯は、洛北の乾の方角にあたることから「乾山」と命名され、以降は正徳2年(1712)に乾山窯を洛中の二条丁子屋町へと移転させます。
乾山のやきもの(乾山焼)のうち、白い化粧土のうえに銹絵(鉄絵具)によって絵画的な文様や詩文を描いたやきものは、まさに一幅の書画を鑑賞するかのようであり、乾山の文人(教養ある人)たる気質が表れた作品です。また実兄・光琳との合作角皿のほか、うつわの造形や文様表現にも絵画との共鳴がうかがえます。

銹絵竹図角皿銹絵竹図角皿
尾形乾山 絵/尾形光琳
江戸時代中期 出光美術館

第2章 王朝文学の情緒

乾山の生家・雁金屋は、後水尾天皇(1596 - 1680)の皇后・東福門院(1607 - 78)の贔屓であった高級呉服店でした。幼い頃から公家の王朝文化を身近に感じ、美しい衣裳や図案に囲まれて育った環境。さらには縁戚にもあたる本阿弥光悦(1558 - 1637)や俵屋宗達(? - 1640頃)による江戸時代初期の装飾芸術など、これらが乾山の研ぎ澄まされた美意識の形成に寄与し、その作陶へ活かされたと考えるのは想像に難くありません。
また古典的教養として必須であった和歌は、王朝復古の機運にあった当時の歌壇の活動もあり、江戸時代にも上層町衆の間で盛んに詠み交わされていました。その文化圏にいた乾山は、古典知識や王朝文化への憧れを、やきものという新たな媒体で表現してみせたのです。
本章では「色絵定家詠十二ヵ月和歌花鳥図角皿」や「銹絵染付金銀白彩松波文蓋物」など、雅やかな王朝文化と連環するやきものの世界をご紹介します。

銹絵染付金銀白彩松波文蓋物銹絵染付金銀白彩松波文蓋物
尾形乾山 江戸時代中期
重要文化財 出光美術館

第3章 交響をなす琳派の陶画

琳派では、作品のモチーフや模様が、絵画や陶磁器、蒔絵といった今日の美術における分野の境を越えて波及したことが特徴として挙げられます。このような関係性は、短絡的にその模倣を繰り返していたのではなく、ときに技術的な側面において、または斬新な意匠や構図が生まれるきっかけともなりました。
乾山焼においては、釉薬の下に絵付けを施す「釉下彩」の技法が、やきものでの微妙な濃淡を表現することを可能とし、琳派の「たらし込み」を思わせる色彩の世界が花開きました。また絵画作品においても、モチーフを連続させたり、それまでにない大胆な構図を取り入れたりするなど、工芸的な要素がうかがえます。
本章では様々な美の要素が織り成すことで生まれる、琳派芸術の姿を紐解きます。

色絵龍田川文透彫反鉢色絵龍田川文透彫反鉢
尾形乾山 江戸時代中期 出光美術館

特集 重要文化財「色絵芥子文茶壺」をめぐりみる

野々村仁清作、重要文化財「色絵芥子文茶壺」は、丸亀藩京極家の注文により制作されたとの指摘がある作品のひとつです。大名家から求められた仁清の茶壺には、京の雅やかさを象徴するような意匠が活用され、そこには絵画作品との親和性がうかがえます。
山城国(京都府南部)の地誌『雍州府志』(貞享3年[1686]刊行)には、仁清の御室焼の絵付けに狩野探幽(1602 - 74)や安信(1613 - 85)兄弟が参画していたことが伝えられています。実際に「色絵芥子文茶壺」は、宗達派や狩野重信(生没年不詳)が描いた「麦・芥子図屏風」などを想起させる作品といえるでしょう。ふたつの絢爛たる美が呼応する空間をご堪能ください。

色絵芥子文茶壺色絵芥子文茶壺
野々村仁清 江戸時代前期
重要文化財 出光美術館

第4章 継承される陶画の美

京の都で陶工として人気を博していた乾山はその後、享保16年(1731)頃に養子の猪八(生没年不詳)に乾山焼を継承し(聖護院焼)、自身は江戸に下向します。老年になって下野国佐野を訪れたのち、江戸に戻った乾山は、寛保3年(1743)81歳にしてこの世を去りました。
乾山の没後、その作品は「琳派のやきもの」として、後代の私淑の対象となりました。江戸時代後期の京都では、仁阿弥道八(1783 - 1855)がその美を意識したやきものを制作します。また江戸の地に琳派の芸術を芽吹かせた酒井抱一(1761 - 1828)は、光琳・乾山を顕彰、研究した人物として注目されます。
本章では乾山以後にも響きあう琳派の美がどのように継承されていったか、道八や抱一のほか、深江芦舟(1699 - 1757)、鈴木其一(1796 - 1858)、三浦乾也(1821 - 89)などの作品からご紹介します。

色絵桜楓文鉢色絵桜楓文鉢
仁阿弥道八 江戸時代後期 出光美術館
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