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青磁
─世界を魅了したやきもの

開催期間 2023年11月3日(金・祝)~2024年1月28日(日)
休館日:毎週月曜日(ただし1月8日は開館)、1月9日(火)、12月25日~1月4日(年末年始休館)

展示概要

若草色、碧緑色、天青色、橄欖(かんらん)色。青磁の色の違いを表すこれらの言葉は、つくられた場所や時代の特徴を表しており、一言で青磁といっても実に多様です。
いまから3800年前頃の中国で、灰釉がかかったやきものである灰釉陶器(原始磁器や原始青磁とも称されます)が誕生します。それまでの土器とは異なり、うつわの表面にガラス質の釉薬をまとったやきものは、より堅牢でまた光沢があることから当時の人々をとりこにしたに違いありません。
その後、さらに技術が改良され、後漢時代(25~220)を経て、三国時代(220~280)から西晋時代(265~316)には越州窯(日本では古越磁とも称されます)において日常的なうつわだけではなく、墓に副葬する明器など、様々な形・文様の青磁がつくられています。9世紀頃の晩唐に入ると越州窯は質・量ともにその生産が拡大し、中国国内外で流行します。10世紀以降の北宋時代(960~1127)には北方の耀州窯、鈞窯、そして北宋時代末期には皇帝・宮廷用のうつわをつくる官窯が誕生しました。 さらに南宋官窯や龍泉窯においては南宋(1127~1279)から元時代(1279~1368)、明時代(1368~1644)に中国陶磁の本流として、青磁はシンプルな造形と艶やかな色調を融合させ、アジアから欧米まで、そして皇帝・貴族から一般の人々にまで受容されてきたのです。
本展では、青磁の誕生前夜の灰釉陶器から、漢時代に成熟し始める越州窯、日本人が愛してやまない龍泉窯青磁など、中国における青磁の展開を中心に取り上げながら、高麗や日本、さらには東南アジアなどの青磁も紹介し、世界の人々を魅了した青磁の魅力に迫ります。

青磁

本展のみどころ

01この秋、青磁の大名品が
丸の内に集結!

日本には本場中国を超える中国産の青磁の名品が今日まで伝わっています。本展では出光コレクションにある重要文化財の「青磁下蕪瓶」「青磁袴腰香炉」をはじめ、同じく重要文化財の「青磁筒形瓶 銘 大内筒」「青磁筍形瓶」(根津美術館)、「青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆」「青磁琮形瓶」(東京国立博物館)の重文6点や、尾張徳川家に伝わってきた「大名物 青磁香炉 銘 千鳥」「青磁香炉 銘 白菊」(徳川美術館)など、茶の湯の世界でもよく知られた作品を含む約120件をご覧いただきます。

02青だけじゃない?
青磁の多様性を通時的に展観

時代やつくられた地域によって様々な青色の違いを見せる青磁。成熟期を迎えて以降2000年ものあいだ、青磁は多くの人々を魅了し、日本でも長らく愛されてきた歴史を有しています。青磁といっても、実際には青や緑のみならず、黄、赤味をおびるものもあり、実に多様です。本展では時代による変遷、また地域の違いにより生み出される多様性の魅力を、先史時代から近現代まで、通時的に展示します。バラエティに富んだ造形性を見比べながら、ぜひ好みの青磁を探してみてください。

03いにしえの人々、皇帝、将軍家・大名、そして近現代の日本人も"とりこ"にした青磁に注目

本展では青磁を求めた人々の思いや受容という視点にも注目します。例えば死後の世界での幸せを祈願した青磁には、動物や不思議な生きものの姿を象ったフォルムや文様が生き生きと表現されています。また中国の皇帝や日本の大名・武家あるいは寺社などで受容された作品には、大型で他を圧倒する存在感のもの、端正で美しい釉調のものが多く見られます。大名家などでは、それらの青磁は家宝として次世代に大切に伝わり、現代の我々も、その一端を垣間見ることができます。青磁を手にした人々、そして、そこに込められた嗜好や思いを、4つの特集展示で紐解いていきます。

04本家を超える?!
高麗・日本の青磁も紹介

中国の青磁の流通は、それを受容した地域の文化・陶磁器生産に大きなインパクトを与えました。朝鮮半島では高麗時代の10世紀には青磁づくりが始まり、12世紀前半には中国・宋の使節からもその美しさを高く称えられ、本場の中国へも輸出されるほどでした。日本では12世紀後半頃から瀬戸などにおいて中国の青磁を模倣したやきものがつくられますが、江戸時代に入りようやく青磁生産が始まります。鍋島でつくられた青磁は、将軍家への献上品など目の肥えた人々の期待に応えるものとして生み出されています。本家中国の青磁とは異なる、あるいはそれを超えることを目指した、各地の文化に根ざして創出された高麗や日本の青磁の魅力もご紹介します。

展覧会の構成

第1章
青いやきものの始まり —灰釉陶器
第2章
本格化する青磁の時代 —三国時代から唐・五代を中心に
特集1
ユニークな造形・越州窯青磁のいきものたち
第3章
揺るぎない美への追求とその展開 —宋・元時代の青磁
特集2
官窯 —皇帝のうつわ
第4章
青磁の魅力とその後 —明・清時代の青磁
特集3
儀礼と茶の湯と青磁
第5章
青磁をもとめて —高麗、日本、東南アジア
特集4
継承される青磁の美 —波山の青磁

各章の解説

第1章 青いやきものの始まり —灰釉陶器

いまから3800年前頃、うつわの表面にキラキラとした光沢を有するやきものが生まれます。その光沢こそが青磁(あるいは施釉陶器や磁器)を誕生させるきっかけとなった釉薬です。薪を用いて高温で焼成することにより、薪によって発生する灰や窯中の温度の変化が起こり、人類は偶然にも釉薬を発見したのです。人為的ではないことから自然釉とも称されます。その後、人工的に釉薬をつくり出すことに成功し、漢代までにはやきものをより堅牢に、そして美しいものへと発展させ、後漢頃(25~220)までには青緑色の釉色を呈する青磁を生み出しました。

灰釉印文盉灰釉印文盉
中国 戦国時代 出光美術館

第2章 本格化する青磁の時代 —三国時代から唐・五代を中心に

三国(220~280)・晋時代(265~420)に入ると、素材の土や燃料である薪、また出来あがったやきものの輸送に適した水運に恵まれた中国南方の浙江地域を中心に、青磁の生産が盛んになります。南北朝時代には中国国内で流行していた仏教とも関連するような蓮弁のデザインなどもうつわの形や文様に採用されたことで、南方産の青磁は華北地域でも受容されるとともに、華北でも青磁の焼造が始まり、中国陶磁史においてますます青磁の生産が本格化していきます。ここでは三国時代から唐時代(618~907)、五代(907~960)の青磁をご紹介します。

青磁天鶏壺青磁天鶏壺
中国 南北朝時代 出光美術館

特集1 ユニークな造形・越州窯青磁のいきものたち

青磁の生産が本格化し、瞬く間に成熟した青磁を生み出した西晋(265~316)、東晋(317~420)時代に入ると、越州窯では、極めて装飾性や意匠性豊かな陶磁器がつくられます。型押し、堆塑、彫塑などの技法を駆使し、仏像、瑞鳥神獣、人物(胡人を含む)、鳥、家畜、動物、建築物の意匠が型づくりされます。それらの多くは死後の世界の豊かな生活を祈願してつくられています。それぞれの動物や人物などの意匠から、当時の人々の思想や文化交流の一端を見ていきます。

青磁神亭壺青磁神亭壺
越州窯系 中国 西晋時代 出光美術館

第3章 揺るぎない美への追求とその展開 —宋・元時代の青磁

宋時代(北宋960~1127、南宋1127~1279)には宮廷において今まで以上に品質の高い陶磁器の生産・利用が行われ、一般の人々の間でも広く陶磁器が日常生活の中で用いられました。青磁は宮廷で特に好まれ、その影響から北方の耀州窯、南方の越州窯や龍泉窯で非常に精緻な青磁づくりが行われました。そこではフォルムや彫り・貼り付け文様、釉色の美しさが追求されています。また南宋から元時代(1279~1368)には輸出陶磁としても、各地の文化や陶磁生産に大きな影響を与えました。

青磁鎬文壺青磁鎬文壺
龍泉窯 中国 元時代 出光美術館

特集2 官窯 —皇帝のうつわ

宋代末期、皇帝・宮廷用のうつわの生産が、宮廷の官吏のもとで行われます。官窯の誕生です。そこでは最高級の素材、技術、職人により採算を度外視して、皇帝・宮廷が考える美が追求され、体現されました。その技術は流出しないように厳しい管理も行われています。また明時代前期(14世紀末~15世紀前半)には宮廷における陶磁器の需要を満たすために、景徳鎮官窯だけでなく、龍泉大窯でも皇帝・宮廷向けに青磁(龍泉官器)づくりが行われていたことが近年明らかにされました。

青磁下蕪瓶青磁下蕪瓶
南宋官窯 中国 南宋時代
重要文化財 出光美術館

第4章 青磁の魅力とその後 —明・清時代の青磁

元時代(1271~1368)になると青花(染付)が出現し、明時代(1368~1644)には宮廷・民間で広く青花磁が主流となります。一方で、16世紀頃までは青磁も引き続き中国国内外で嗜好され、明時代前期(14世紀末~15世紀前半)には国家間の交流における貴重品として用いられました。景徳鎮窯においても龍泉窯青磁を模倣した青磁が明・成化年間(1464~87)頃からつくられ、清時代(1644~1912)においても乾隆帝(在位期間:1735~95)などにより宋元明時代の古典の青磁の美に対する畏敬の念が表されて、新たな青磁づくりが行われました。

特集3 儀礼と茶の湯と青磁

17世紀頃になると同時代につくられた龍泉窯青磁は、日本にはほとんど舶来しなくなります。しかしそれまで日本に伝わっていたアンティークとしての龍泉窯青磁が将軍の御成の際における武家儀礼の飾りの道具として、また茶の湯の道具としても珍重されました。ここでは大名家や高名な茶人により嗜好・所持された青磁を取り上げながら、日本において唐物の青磁をどのように受容していたのか、その一端をご紹介します。

青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆
龍泉窯 中国 南宋時代 重要文化財
東京国立博物館
Image: TNM Image Archives

第5章 青磁をもとめて —高麗、日本、東南アジア

中国で創出された青磁は朝鮮半島、日本、東南アジア、また西アジアへも流通します。中国産の青磁は各地で高級なものとして愛好されますが、それを使用するだけでなく、実際に各地でそれらをベースに青磁づくりが行われます。多くの地域で憧れの中国産青磁の模倣が始まりますが、材料や自然環境の違い、そして美意識の違いから徐々に独自の青磁を生み出していきます。ここでは高麗、日本の青磁を中心に、東南アジアの青磁も含めて展観します。

青磁陰刻牡丹唐草文瓢形水注・承盤青磁陰刻牡丹唐草文瓢形水注・承盤
朝鮮 高麗時代 出光美術館

特集4 継承される青磁の美 —波山の青磁

我が国では近代に入り個人の美意識や考えを表現する一つの手段として陶芸の分野が深化していきますが、その礎を築いた作家の一人に板谷波山(1862 - 1963)がいます。やきもの産地の出身でない波山は、美術学校で彫刻を学び、また欧米の芸術様式の動向を注視しながら、陶芸の新たな表現を試みます。一方で日本人が愛してやまない青磁づくりにも力を注ぎます。古典を学び、その様式やフォルムを継承しながら、模倣ではない独自の表現を目指した波山の青磁は、その後の日本の陶芸にも大きな影響を及ぼしたのです。

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